むくむく通信社アーカイブス


むくむく通信 VOL 003
2004年秋号
編集発行:むくむく通信社 発行人:中川繁夫
2004年10月1日発行

新しい生活スタイルの情報を集めて紹介・批評などをおこなっていきます
アート情報・写真情報・文学情報・農業情報・その他諸々
 
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季刊むくむく通信 2004年秋号
目次
むくむくの話題
記事1 京都農塾たより-03-
記事2 アートとはなにかということ−連載3-
記事3 情報発信のはなし
記事4 お勧めスポット&人
記事5 食と農の話題

☆むくむくの話題☆
 こんにちわ!むくむく通信です。     

            今年の夏から秋にかけての話題といえば
               アテネで行われていたオリンピックでしょうか。
               イラクで日々起こっているドンパチでしょうか。
               台風と噴火と地震なんて自然現象でしょうか。
               なにか物騒がしいこの頃やな〜というのが実感ですね。

               自然の現象と人間が作り出した現象があります。
               自然現象への対処は災害対策を十分にしていくことです。
               人間が作り出した現象っていうのは存続と廃棄があります。
               オリンピックは存続、ドンパチは廃棄ですね。
               戦争は絶対にいけません。
               正義の戦いなんてありえません、全て悪です。

     
        ☆☆
むくむく通信社では情報発信の中心サイトとして
☆日刊むくむく新聞☆を置きました。

ブログHPが多くなってきて、個人が毎日、日記をつける感覚でHPを作る。
この傾向が顕著ですね。むくむく通信社関連のブログが12blogあります。
その中で「むくむく」と名のついたブログが2つあります。
日刊むくむく通信 むくむく通信社blog

        この2つのホームページに日々情報を発信しています。
        いずれも新しい生活のための情報を主な内容としています。

         ☆日刊むくむく通信では、最近は「苔の私日記」と題しての文章を連載しています。
           主宰者中川繁夫の文章作品として位置付けています。
          ☆むくむく通信社blogでは、こころ充実する暮らしへの提案をおこなっています。
           観点は、グローバル化する全体からローカル化への暮らしを志向しています。
          ☆むくむくにっきblogでは、新しい生活への提案をおこなっています。
            観点は、若い世代に充実したこころの未来を考えてもらう参考としてもらうこと。
            大きな中心文化への融合を拒否するた文化戦略との位置づけをしています。

          ☆むくむく通信社の発想は、ヒト個人の日々生活において
            充実感や幸福感に満ち満ちた日々を得ることにあります。
          ☆生きることの充実感や幸福感を創造していくことが、
            むくむく通信社の役割だと思っています。
                  2004.9.10 nakagawa shigeo


記事1

京都農塾たより-03-

京都農塾は京都府船井郡園部町天引に農場があります。
農業法人京都ナチュラル・ファームが主宰しています。
はたけと田んぼは、有機無農薬栽培です。
京都市内から車で約90分、るり渓に近い里山です。
第二土曜日と第四土曜日が共同の作業日です。

京都農塾2004.9.4
 
お米を栽培しているんです。銘柄はコシヒカリです。
 
はたけの草引きと収穫の仕分けです。

稲刈り 2004.9.18
田んぼの稲穂が黄金色になりました。
先の台風で稲穂が倒れてしまいました。
この日は全家族が釜をもって稲を刈りました。

   

   

   

お米は主食、私たちの食の基本です。
稲の栽培と収穫はとってもいい体験となりますね〜
夏場の汗だくだくの作業も少し涼しくなった秋の稲刈りも、
共同作業ですから喜びの気持ちがもういっぱいですね。
共同で食べものを生産することって生きていく充実そのものですね。
家族の絆が基本となって、知り合った家族同士が生産を共有する。
消費一辺倒生活から生産消費一体生活へ。
新しい時代の新しい人の生き方だと思います。
なによりも「からだとこころ」が共に喜ぶ自分を発見でしますね。
  nakagawa shigeo


記事2

アートとはなにかということ-連載3-


今回は、この世の中での、
アートという領域を考えてみまたいと思います。
この世の中といったとき、
この大きさは過去の歴史の全てを経てきて、
今ある人間世界のことです。

私たちはこの人間世界のことを、
いくつかのカテゴリーに分けて整理をしています。
概念上、その中心に政治・経済の領域をおいて、
その周辺にアート(芸術)領域と宗教領域をおきます。
ほんとうは単純に分類できることではないのですが、
このように単純化してみてみます。
するとアートと宗教という領域が明確になるかと思います。

中心が政治・経済の領域です。アートと宗教は、その外側にあるのではなくて、
政治・経済の領域に取り込まれるようにして、内在しています。
内在していますけれども、アートや宗教は政治・経済とは質の違うものなんだと考えます。

政治・経済というのはシステムです。
構造化された人間の関係です。
身体をもった人間の集団が国家を形成し、これがひとつの単位になって、
国内政治・経済が国際政治・経済と契約により関係を持つ。
これが近代社会のありようです。
この関係の根本原理を構成するものとして、貨幣というものが介在します。
人間集団である国家、その国家を構成する人間が国民、
その人間と人間をつなぐ貨幣というもの。
この国家、国民、貨幣、という三要素でもって、政治・経済の領域とします。

世に言うアートというのは、
貨幣経済に組み込まれてしまったアート領域の部分を言っています。
単純に言ったら、商品価値としてのアートです。
そしてアートはスキルと感性だといいます。
それを特別な枠に縛っていって、商品価値というものを作り出します。

ところでこのスキルと感性というものです。
スキルは技です、技術です、
これは形式化できます。
すると「感性」というのが、何を指すか、ということです。
感性とは、感じること、とでもしておきましょう。
この、感じることの感じ方の中味です。
この感じ方っていうのも、歴史的に培われてきたものだ、との考え方を認めます。
この感じることは「こころ」です。

人間社会のこの世の中の関係が、国家、国民、貨幣、そこにヒトのこころを含める。
でもこれで全てではないことは、直感としてもわかります。
つまりヒト個人のこころの部分の中味です。
この「こころ」に、どうもその領域に収まらない部分があるようなんです。
「こころ」といっても独立してあるわけではないですね。
これは歴史的に作られてきたというのが大筋の見方です。
でもボクは、この「こころ」の領域に、
そこからもはみ出してしまう部分があるように考えています。

アートというのは、このはみ出してしまう部分のこと、
という仮説をここで立てておきます。(未完) 
nakagawa shigeo




記事3
情報発信のはなし


個人が充足するために自分を発信する。
情報は共有され共通認識となる。
情報は世の人の好き嫌いや流行の流れを創り出す。

マスメディアに対するミニメディア論

   

個人が自分を表現するためのツールとして、
ひところは同人雑誌。
それから情報誌フリーペーパー。
いずれも紙媒体でした。
いまの主流はなんといってもホームページになります。

メディアというのは情報媒体のことです。
つい先ごろまでは、情報は一方的に送る側と受け取る側のワンパターンでした。
放送局、出版社、新聞社とありますが、公共の器として言論の中心です。
視聴者や読者が参加することで固定客を増やそうという流れが、
大きなメディアの一角を占めるようになりました。
視聴者参加型番組、読者参加型紙面です。
これマスコミの大衆路線ですね。

それとは別に、ミニコミ誌が登場してきます。
多くは1970年代、マスコミに対抗する手段としてのミニコミです。
資本に対抗するミニコミ。
このミニコミ誌を専門に扱うショップもありました。

それがこの10年、いや5年ですね。
電話回線を介してのオンラインでホームページ発信が登場してきました。
大手のプロバイザーが管理運営しますマスメディア的役割があります。
それと並行するように個人ホームページが立ち上がってきました。
ひところの放送局、出版社、新聞社のオフラインが、オンラインになって、
個人で放送局や出版社&新聞社的機能として、
使うことができるようになってきました。

これは見せかけのメディア開放なんですが、
そのことにはこだわらなければ、
誰もが自分のメディアを持つことができるようになったのです。

グローバル化の時代は、
かってあり今もある視聴者参加型、読者参加型マスメディアの
インターネットを利用した形への転換です
この「むくむく通信社」もその一環です。
でも、かってのミニコミの要素を持とうとしています。
これは何かというと、やはり体制批評、批判であると思います。
ここでやろうとしていることは、かってあったことの焼き直しです。
でも、ただ一点、違うところは、
体制批判の結果として対抗権力を目指さない。
個人の解放を別権力の中に求めない、ということでしょうか。
権力構造を解消する。
その方向性を求めていくためのミニメディアであろうとすることです。

いまやこのような論説さえ浮上しない時代なのかも知れません。
全てが管理される時代のミニメディアです。
ミニメディア自体が管理されてしまっているのです。
でも、これを嘆いたところで解決はしません。
利用するしかないんです。
それゆえに対抗手段としてのミニメディアも、
新しい戦略を要求されていますね。

こんなことはもう関係なしに、個人が自分情報を発信する時代です。
さまざまな個人の自分情報をネットワークしていきましょう!

nakagawa shigeo




記事4
お勧めスポット&人

  富樫さん夫婦の生きかた賛美


  
富樫卓和さんと伸子さん

海外赴任もあった会社人生活を終えて、ここ滋賀県湖西の山麓に住んで5年がたちました。
白を基調にした家屋とお庭は、5年をかけてのほとんど手作り。
お庭には花草木そして菜園。
自然人生活を楽しんでいますね〜

   



ここにいたらいくら時間があっても足りないですね〜と語る富樫さん、
富樫さんは1940年東北の遠野産です、子供のころに経験した農作業体験が、
自然に向けるまなざしとなって、今ここに居る、という感じですね、と語ります。
学生終えて就職で赴任したのが京都にある自動車工場でした。
この国が経済成長してきた真っ只中でのサラリーマン生活を終えて、
悠々自適の日々を過ごそうと思いました。
サウナ室と露天風呂を屋台ごと手作りしました大工さんですね。


今日はお庭を開放しての野外パーティーです。
   
富樫さん主宰の野外パーティーは2004年9月11日(土)に開かれました。

富樫さんは、京都農塾の塾生としてご夫婦で参加されていて、
農塾に参加する家族を招待しての野外パーティーでした。
テーブルに並べられた食べ物は手作りのものばかりです。
農塾で育てたお野菜ですから、生産からの手作りですね。
ただしバーベキューの食肉は、仕入れてきました、です。

                    (写真&記事:中川繁夫)



記事5
食と農 自給自足をめざして


自給自足をめざす!というのは一つのスローガンですね。
自分でつくって自分で食べるのは食料品。
主には農産物ということになります。

自給自足をめざすとき、その基本的な考えは、
この農産物を作り出すシステムを考えることかと思います。

自給自足といってもいくつかのレベルがあると考えています。
その第一は、自分が生存するための食料を自分で調達するというレベル。
これは仙人隠遁生活(笑)ですかね〜
世捨て人的なイメージがついてきます。
この場合、たとえ食料が確保できたとしても、
生存に必要なものって食料だけじゃないですから、
食料以外の生活必需品をどうやって調達するか、ですね。
やはり、現代人には、貨幣経済のなかで部分自給自足しかできないと思います。

その第二は、共同で創りあげる自給自足体制です。
この共同体自給自足体制は、
いってみれば貨幣経済が未熟だったころの体制です。

でもそのころの体制っていうのは、封建制といってますように、
ヒト個人の尊厳とか幸福という考えなんて見かけませんね。
奴隷制みたいな体制でした。

21世紀に入った初頭の現在として、自給自足ということを捉えることは、
なにを意味するのでしょうね。この意味するものを紡ぎ出さないといけませんね。

そこで出てくるのが、現状と近未来の予測です。
ヒト個人が、このままの状態でいけば、どのような立場になるのかな〜
この立場をイメージすることが必要だと思います。

ここでは、問題提起にとどめざるをえないのですが、
ヒト個人の主体が大きな全体に巻き込まれてしまってのロボット化。
まだ生命体そのものを生み出す技術は持っていませんが、
ロボット工学の進化は、別の生命体を生み出す予感がします。
人工知能と人工身体です。
新しい人類を超える生命を生み出す可能性ですね。
予感的にいえば、これを否定することができないです。

自給自足をめざす!ということの意味は、これだけじゃありません。
近視的にみれば、グローバル化の進展で生産手段が一元化する。
生産手段が一元化するということは、ヒト個人が一元管理されることを意味します。

ボク個人の感情として、これは困るんです。
そう感情の問題です。
感情の問題というのも時代と共に変化しますから、現時点での問題です。

そのように捉えると、自給自足をめざす!というのも、
21世紀初頭の現時点でのテーマかも知れません。
ヒトの現在的クローズアップされる問題ってあるじゃないですか。
たとえば、リストカットする少女。
登校拒否する少年少女。
社会制度への入り口にたったヒトが、なにか社会拒否する行動です。

現時点で、やはりこれは変な動向です、クローズアップされるべき問題です。
やっぱり、仕方が無いこととして容認するわけにはいきません。
これらの行動の背景に、感情があるように思われます。
この感情というものをどのように受け止めていくのか。
そのようなことにならない成長のあり方はないものか?

自給自足をめざす!という背景には、
このような社会現象を解決する糸口として捉える、捉え方をしています。

ここでのこれらの提案は、全く十分ではありません。
おぼろげに見えてきている、現象への対処法なのです。

nakagawa shigeo 2004.10.27










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