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写真評論集-4-
写真学校フォトハウス京都の日録-4-
2004.9.1〜2004.9.22

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写真評論 
nakagawa shigeo 2004.9


京都写真学校 2010.7.4 ピンホールカメラ&プリント制作WS
(挿入写真は京都写真学校 2010年度開講記録2010.4〜2010.6)

2004.09.01
写真の歴史-1900年代アメリカ-1

いま(2004年)からおよそ100年前の1900年代、
アメリカはニューヨークでの出来事です。

1902年、アルフレッド・ステーグリッツが中心となって、
フォト・セセッション第一回展を開催します。
この展覧会の目的は、
「絵画的写真の型にはまった伝統的写真概念への異議申し立て」でした。
すでに受けいれられている写真の考え方から、脱却することを目的としていました。

ステーグリッツは写真というモノの機能を、
その原点へ戻すべくカメラの機械性に表現の基調を求めていきます。
手軽なハンドカメラを使って、ニューヨークという変容していく都市の光景のなかに、
魅力的な素材を見つけていきました。


当時のアメリカでは、写真は趣味の道具として使われていました。
自転車、蓄音機といった道具と同列の扱いですね。
19世紀末に発売された小型のコダック・カメラ。
写真製版術の改良で写真印刷が可能になっていました。
ステーグリッツは、これまで主流だったピクトリアリズムの写真から、
カメラ・写真はそうではない使い方として扱っていくのです。

1903年、写真を造形芸術とみなす綜合芸術誌「カメラ・ワーク」を創刊します。
1905年、ニューヨークの五番街に<291>ギャラリーを開設します。

19世紀にはヨーロッパが中心の写真表現は、20世紀に入ってアメリカにおいて、
絵画的な束縛から離れて、写真独自の表現へとなってくるのです。

     
            2010.4.4

2004.09.02
写真の歴史から学ぶこと

写真学校開校の一連の仕事として、
写真学校のコンセプトを紡ぎ出そうとの試みをしています。

さまざまな角度から「写真の現在」というものを確認していく過程で、
写真の近未来のあり方が想定できるのではないか、という思いです。
その一角に、写真の歴史をどのように捉えて、
これから先に生かすのかという作業があります。

この作業の重要さというのは、
写真表現の近未来のあり方を想定することです。
写真の学校にとって、必然的に最重要課題なのです。

学校のカリキュラムというものは、
事実を列記するだけでは立ち行かないと考えています。
事実の列記と同時に、そこから見え隠れする近未来を指し示すこと。
学校にはこのコンセプトが必要なのです。

もちろん歴史を紐解くだけではありません。
写真表現が技術論ではなくてヒト個人の自立のためのツールとなるとき、
ヒト個人が刺すべき理解・認識の過程は、写真以外の分野への解析に向います。
現代思潮への理解とアレンジメントが必要になります。

そのうえで写真を創造するということは、
テーマとする全体イメージをどのように描くかという、描き方です。
そこに歴史をふまえての発想が必要になってくるのです。

「あい写真学校&写真ワークショップ京都」の教育プログラムは、
こうした視点と実践のなかから育まれてくるものと思っています。
現在ある中心的な指向とは別の位相において、それは成熟していくはずです。

     
                 2010.4.11

2004.09.03
写真の歴史-1900年代アメリカ-2

20世紀初めのアメリカを一言でいうと「都市化へ」ということでしょうか。

フォード自動車会社の設立が1903年、
同年、ライト兄弟が飛行機(複葉機)で空を飛びます。
同年、綜合芸術誌「カメラワーク」が創刊しましたね。

ステーグリッツが「終着駅」という写真(1892年撮影)には、
NY・ハーレムの早朝、鉄道馬車の光景が撮られています。
それから10年後にフォード自動車会社の設立なんですね。

文化・芸術の中心はまだ、フランスやドイツであったとしても、
アメリカは一気に近代産業の中心的役割を担うようになります。

ステーグリッツは、写真が絵画とはちがう新しい芸術様式であることを主張します。
その主張こそって、機械の目(カメラ)が見る都市の風景を、スナップショットで撮っていきます。

都市化する世界と写真が都市へ向って撮るテーマが、
クロスし始めるのがこの頃です。
もちろん表現方法は紆余曲折しますが、
現代写真の主要なテーマがここにあって、
現在までクロスしてきたと見ています。

政治経済や工業の世界構造において、
現代への原形がここ、20世紀初葉のアメリカにあるとすれば、
現代写真の原形も、ここにあるといえます。

都市や社会の成熟は、それまであった自然環境から分離しますが、
写真家にとっても自然から遊離・浮遊した自分の存在を、
現実としてとらえてくるようになる視点を確保しはじめます。

20世紀の首都となっていくニューヨークの第一歩と、
写真が独自の表現方法を確立していく第一歩がここにみられます。
綜合芸術誌「カメラワーク」、<291>ギャラリーの開廊、というポイントは、
近代〜現代写真の原形を創り出した装置であったと思います。

     
            2010.4.17 フォトコンプレックスU展オープニング

2004.09.06
写真の仕事現場

写真の専門教育を受けていなくてプロカメラマンを目指してるヒトへ
ここで少し、写真の仕事現場と写真業界の話しをします。


写真を撮ることでお金をもらう。
こんな世界があることは、みなさん知っていることと思いますけど、
では、どうしたらそんな風になれるのかな、と思っていませんか。

写真を撮ることでお金になる、
つまり働くということが現状ではあまりないことを知ったうえで、
プロ写真の現場ってどんなところがあるのだろうか。

あなたが日々過ごしている中で、様々な写真があることに気づくと思います。
本屋さんへいけば雑誌には写真がいっぱい詰まっている。
雑誌にもいろいろあってファッション、モーター、トラベル、クッキング・・・。

新聞を見れば要所要所に写真があるでしょ。
取材写真といって雑誌に必要な記事の写真を撮ること、
広告のポスターの写真を撮ること、
こんな現場で写真を撮ることを想像するかも知れないけれど、
それだけではないんです。

結婚式の記念写真、七五三や成人の記念写真、そんな仕事もありますね。
写真っていうのは静止画像ですので、主に紙媒体(雑誌や新聞)の仕事になりますが、
フリーで仕事として写真撮影を請け負う方法や、フォトスタジオを開設して広告、
つまりコマーシャルの仕事を請け負う方法などがあります。

そこでカメラマンとしてやっていくのに必要なことはなにかというと、
高度な技術力と専門分野の知識が必要になりますね。
それと一般常識とマネージメント。

仕事先の分野で言えば出版系、スタジオ系、ジャーナリズム系と区分けしましょうか。

出版系では雑誌の写真撮影ですね。
先にもちょっとふれてますが、
料理、ファッション、旅行、モーター、スポーツ、自然風景、等々ですね。
あなたがどの分野の専門家であるのかです。
専門分野の専門知識が必要ですよね。

スタジオ系では主にコマーシャル、カタログ掲載写真(ブツドリっていってます)、
記念写真(フォトスタジオって看板あがってる)の仕事があって、
技術力がつけばそれなりの仕事になります。

ジャーナリズム系といったら報道カメラマン、
フリーで新聞社なんかとの契約で現地取材したり、
特派員として現地取材したりします。

このように写真の仕事現場はいろいろあることが判りますが、
どのようにしたらそんな職業に就けるのだろうかということが知りたいですよね。

職業とする基本には、
写真が好きでそれなりの知識も備わっていて、
なおかつやる気が必要です。
そのうえで、具体的なアプローチが必要ですから、
自分の目的を明確にしていくことが必要なんです。

     
             2010.5.9 府立植物園

2004.09.07
写真は出来事を記憶する

写真への信用性っていうなかで、
写真が裁判資料として使われることがあります。
写真は、真を写す、モノとしてへの信頼・信用ですね。

確かに写真は、現物が複写されたものです。
写真の記録性ということでは、社会に認められた公的記録です。

ここに一例をあげます。
1929年10月24日NYの株価大暴落で始まる深刻な不況(大恐慌)がありました。
文書記録では、時の米国、「ニューディール政策」をとって、
社会改革、救済事業を展開した、とあります。
その後農民や季節労働者に低利融資する制度や土地改良計画の推進を目的として、
1937年に農業安定局(FSA)が設置されます。

FSAの歴史資料部の責任者R・S・ストライカー(コロンビア大学教授)は、
南西部の農業地帯の窮状を、写真を使って調査します。
そのために写真家が雇われてチームが組織されました。

FSAの作成した写真群は、
社会的公的記録(ドキュメント)として今に残されています。
(写真は1938年MOMAにて展示されました「アメリカン・フォトグラフス」展)
FSAの写真家は次の5人。
☆アーサー・ロススタイン☆カール・米マイダンス☆ウオーカー・エヴァンス
☆ベン・シャーン☆ドロシア・ラング

1930年代のアメリカ社会の記録です。
この当時に記録された写真は、
年月を経ることで、社会の記憶装置を形成します。
写真を捉える概念は、その後、大きく変容してきます。
としても、写真の本質の一側面としての記録性と、
社会財産としての記憶装置がここにあります。

この写真の特質・記録性というドキュメントの方法が、
現代的にはどのように評価されるかは、意見の分かれるところです。
だとしても写真の使い方として、その概容は代わっていないですね。

写真の歴史-1930年代アメリカ-の項です。

     
          2010.5.30 第68回写真セミナー

2004.09.08
写真で心を表現するって?

写真を理解するための話です。

写真はコミュニケーションの手段だっていってます。
でも日常の生活会話と同じではなくて、
小説や映画なんかを製作するのと同じように創造的なことなんです。

写真は自分の心を表現する手段のひとつです。
写真を撮り始めるにあたっては、
これまでのあなたの生活してきた知識の積み重ねの上に立って、
自分のやりたい気持ちが備わっていることが重要です。

写真を撮って見ることって楽しいし面白い!!
まずそう思うことから始まります。
そのように思ったりするのが「心」ですよね。
その気持ちを写真に現すのです。

でも写真を撮り始めると、写真っていったい何なんだろうって考えたり、
どうしたらもっとうまく撮れるんだろうって思ったり、そういうことが出てきます。
これはあなたのなかの自分発見、気づきの糸口なのです。

写真というものは、様々な世界の断面と深く関わりを持っています。
その中にあって、あなたが日々生活しているという現実に、
身体と心(感性)で写真に関わります。

写真に関わる時間、生活する時間の全体から、
労働し、食事をし、音楽を聴き、小説を読み、友達と話をし、
過去を思い出し、未来を予測し、楽しくなったり淋しくなったり……
そうして何かを創りだしてみたいな〜って思ったときそこに写真がある。

写真で心を表現することって、自分の気持ちを現すこと、
でも現し方がけっこう難しいかも知れない。
カメラという道具を使い、身体を使い、そのなかでもとりわけ脳を多く使いたい。
過去の経験といまの自分の考え方や思い方、
そして、大切な人と気持ちを交換する「写真」を創るということ、
これはウキウキ絶対に面白くて楽しいことなのです。
これが「心を表現する」秘訣かなって思います。

写真を創るときには、いろいろな判断が求められます。
写真という一枚のイメージがあなたと大切な人との間に並ぶのですよ。
そして写真は、あなたが生きていく痕跡を残しながら積み重なっていくのです。

写真で心を表現することって、
充実して生きていく跡を残していくあなた固有の物語を創っていくことなんです。
そのためにも写真を撮る技術や社会のことをも知る必要があるわけです。

2004.09.10
写真の記憶

   

先の台風で宮島・厳島神社の一角が倒壊しました。
国宝という価値のもとにニュースとなりました。
これまで存在したもの消滅するというのは道理です。
でも国宝倒壊というのは社会財産の損失ですね。

写真。
写真は<ある時>カメラの前に在ったモノを記録する道具です。
そのモノの存在時間は数千年という単位もあれば瞬間という単位もあります。
写真は、その時々の存在の瞬間を留めます。

留められた写真は、留められた直後から、
見られる時までの年月を経る<時間>を保有します。

たとえば今日はテキストに宮島の写真を引き合いにだしました。
撮影者は吉本集さん-旅の記憶-の一枚です。
もうこの光景は存在しません。
というのも一部が倒壊してしまったからです。

写真の第一義的意味はここに表れます。
1930年代アメリカにおいてFSAの依頼を受けて撮られた写真群が、
その時代の社会を記憶しているように、
宮島の写真は時代の価値観を記憶します。
但し、そこには撮られた年月日と場所のコメントが残されます。

でも写真の創られ方はこの形式だけではありません。
ネイチャー・ランドスケープからソーシャル・ランドスケープへ向ってきて、
今は、パーソナル・ランドスケープを経てプライベート・ランドスケープです。
つまり極私的風景とでも訳しましょうか、その時代です。

写メはまさにこのプライベート・ランドスケープの第二儀的意味を持ちます。
国宝が倒壊しする前を撮ったという背後の価値と、
自分の子供を留めたという背後の価値が、等価になった時代です。

いやむしろ表現者にとっては、写メの写真に現代的意味を付加する。
いずれの写真もこれから時間を経ることで、記憶の層を形成します。
写真が未来に開かれてあるのは、この意味においてだと思っています。

     
          2010.6.2 第一回写真研究会

2004.09.15
写真の歴史-1960年代-1

1960年代のアメリカについては先に記載したので、
その状況を引き合いに出しながら、写真史をみてみたいと思います。

戦後の日米関係というのは、いつも米国に追随する構図ですね。
写真においても米国の動向を無視することができないですね。

1966年にアメリカで行われたコンポラ展の作家たちの表現方法を、
こちら流にアレンジしてきます。
顕著になってきたのは、アレ・ブレ・ボケという言葉に示されるように、
これまで持った写真の質というもの、ファインプリント、美しい写真、
の概念をつき崩すかの制作方法でした。

社会の動向も60年代半ば以降は学生運動が活発化してきますね。
大学闘争(紛争)があった時期です。
そういう最中の1968年11月、季刊同人誌「PROVOKE」(プロヴォーク)が創刊されます。
創刊同人は、中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦の4人でした。(敬称略)
第二号から森山大道氏が加わり、1969年8月に第三号を発刊して終わりました。

写真が持ってきた制度的な形式を、大胆にも破壊する、という写真群がそこにはありました。

1968年とはどんな時代だったのか?
この時代の開き方が昨今注目されているように見受けます。
およそ35年前の時代検証が始まり、そこから混沌とした未来へつなぐ糸口を、
紡ぎ出そうとするかのようにもみえます。

写真の歴史においても第一に「PROVOKE」を取り上げたのは、その関連においてです。
時代の写真家として、今も若い世代に影響力を与えているその方法を、
解析することから始めていきたいと思います。(続く)

     
           2010.6.6 サイアノタイプ・プリント実習

2004.09.16
写真の歴史-1960年代-2

1960年代ののなかで特に1968年が話題になるのは、
体制基盤である政治や経済の領域、社会運動の側面で、
大きな流動が顕著になった年であったからだと思います。

米のベトナム戦争、仏の5月革命、この国の学生運動・・・
1945年以降の戦後体制の、良くも悪くも20数年間の終わりと、
新たなる始まりの屈折点だったようにも思います。

写真を制作するという写真家個人のレベルに立って捉えると、
作家の内側の心情、思想と表現された写真の立場が明確になるのではないか。
このような視点から、全体と個々の作家の写真をみていきたいと思います。

「PROVOKE」に参加したメンバーは、全員が写真家(専門職)だったのはないですね。
中平卓馬というメンバーは雑誌編集者だったし、岡田隆彦というメンバーは詩人。
写真の撮り手が専門職としての技術屋でなくても写真が成立する、という時代。
撮影技術が優先される写真から、撮られたモノへの解釈が優先される時代へ、です。

ヒト個人という物体の捉え方ですね。
それと社会との関係ということですね。
つまり、大きな大義名分から、
個人的パーソナルな立場への転換があったと思います。
先行して文学上おいて私を確立してくる過程で「私小説」に至ったように、
写真が位相を変えて時代を変えて「私写真」が誕生してきた、とも見れます。

さて、2004年のいま、
当時の主テーマだった「人間解放」「自己解体」といった命題が、
その後どのように辿ってきたのだろうか、
との検証が必要となってきているんだと思われます。
1968年をして現れてきた諸現象の将来的可能性に対して、
現実に経過した時間があります。
この現実に経過した年月を、肯定するのか否定するのか、
という論の立て方ですね。

「人間解放」とか「自己解体」とかのシンボルに逆行して、
その後、いっそうの抑圧、自己保身が強まった。
そこで新たな人間回復、内面(こころ)の充足をめざすためにも1968年を振り返る。
写真においては、新たな写真の意味を創り出す。
このことがいま、求められているのだと捉えています。

「PROVOKE」同人たちの写真集
・森山大道「にっぽん劇場写真帖」1968年、「写真よさようなら」1972年
・中平卓馬「来るべき言葉のために」1970年
・高梨豊「都市へ」1974年

他の写真家の写真集
・東松照明「<11時02分>NAGASAKI」1966年、「日本」1967年、「おお!新宿」1969年
・荒木経惟「センチメンタルな旅」17971年
・北井一夫「三里塚・1969−1971」

おおきな問題を羅列的に並べていますが、1968年俯瞰-2-でした。(続)

     
          2010.6.13

2004.09.22
デジタル時代のフィルム写真

フィルムを使ったモノクロ写真を、
精確には「ゼラチン・シルバー・プリント」とも呼称しています。
読んで直訳ですね、糊状ゼラチンに銀を混合したものを紙に塗って作ったものです。

この銀のかわりに金を使うと「プラチナ・プリント」ということになります。
ゼラチンのかわりにゴムを使うと「ゴム(ガム)プリント」ですね。

プリント写真には「銀塩」「非銀塩」という分け方もあります。

いずれもこれらは物質を組み合わせ変化させて写真を作る方法です。
ですから出来上がりの基本形は物質としての「紙」ということになります。
この手法による歴史時間は、1826年ニエプスによる光の定着以来178年です。

一方で、デジタル領域で画像が作られるようになりました。
デジタル領域での歴史時間は約10年です。
出来上がりの容態はフィルム写真と同じように、プリントにするのが主流ですね。
写真とは、紙の上に画像を定着させるイメージが濃厚にあるためでしょうね。

さて、ここで時代の変わり目、フィルムによる写真は淘汰されるのかどうかですね。

写真を制作する主流はデジタルに移行します。
カタログのためのブツ撮りや報道写真etc・・・
もうデジタルカメラに移行していますね。

こうなるとフィルムを使うというのは特殊な方へ行くことになりますね。
そうです、現在の一眼レフカメラに35ミリフィルムという限定が、一気に拡大します。
大型カメラによるフィルム写真、
ピンホールカメラによるフィルム写真(厳密には印画紙写真かな)
カメラは手作り、カメラオブスキュラ、フィルムも手作り・・・・
そういう時代になりますね、数十年後?

デジタル写真が、フィルム写真178年の後継物となって、
出来上がりの基礎形態をとって替わったときです。
フィルム写真は、新たな道を歩まなければならない宿命を担いますね。

もうゼラチンシルバープリントが主流ではなくなり、
歴史のなかで試されてきた制作手法の全てが等価になります。
巷に現れているピンホール写真やトイカメラによる写真。
すでにフィルム写真があらたなる展開を見せ始めているんですね。

あとはアーティストの感性に委ねられた作品の出現を待つばかりですね。


テキスト:中川繁夫 (C)2004 nakagawa shigeo













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